まるまんがを書いていたいブログ

まるまんがが漫画でかけるか、ポエムか雑文か続けていこう。

敬老の日が近いですね。

自分の祖父母の事。

思い出してみよう。

 

父方の祖父母は、

もう亡くなって随分たつ。

子供の頃には、

その父方の祖父母と暮らしていた。

 

父は五人兄弟の末っ子だが、

父の兄、姉達はそれぞれの世帯で独立し、

父と母とで、祖父母と同居していた。

 

同居といっても、

屋根は同じだけど、

貸事務所の裏手に自宅がくっついた、

やや郊外で賑やかな道路近くの

古い木造の貸ビル。

 

隣の角地がガソリンスタンドで、

道路向かいには歯科医。

裏手には郵便局。

奥の隣は洋服の仕立て屋さん。

銀杏並木のバス通りの国道から、

角ひとつ、入った所だった。

 

自分の叔父、叔母に当たる家族も、

同市内に住んでいて、

車で行ける距離。

 

母方の実家は農家で、

母は、何かと手伝いに行っていた。

 

農産物をもらったり、

裏山での山菜を採っていた。

 

母方のいとこの方が年齢が近く、

長期の休みには、泊まらせてもらい遊んでいた。

 

父方とも、母方とも、

在郷の時には、

親戚付き合いを普通にしていたけど、

夫の転勤で地元を離れてからは、

疎遠になってしまった。

 

年に何度か顔を見ていたし、

普通に寄り合い、歓談していた。

 

さて、今日の「まるまんが」

「まるまんが」の「まる」

 

まるたべる

まるがまるまま

いるために

まるをいただき

まるをはぐくむ

 

父方の祖父は、

細い人だった。

サザエさんの波平さんみたいに

髪の毛は薄く、バーコード状態。

でも、そういえば

髪の色は黒かったような記憶がある。

 

祖父は、

お寺さんで何かとお話をしていた。

私は、そのお寺さんの幼稚園に通い、

ちょっと大きくなった時には、

その幼稚園で、

習字を習ったりしていた。

 

私が物心ついた頃には、

それまで下宿をしていたという二階の

自宅部分の部屋は家族で使い、

道路側はテナントの入れる

貸しビルになっている。

 

貸しビルには、

食堂やら事務所が入っていて、

家賃収入があったと思うけど、

その木造の古いビルの共用部分を、

小学生の私が、

いつの間にか掃除する担当になっている。

 

トイレ掃除と木造廊下を、

モップで水拭きしていた。

月にお小遣いはもらっていたけど、

特別、その掃除でのお駄賃の覚えは無い。

 

なぜ、兄ではなく、

私がやることになったのか、

どうにも思い出せない。

 

祖父母は事務所側の二部屋で暮らし、

食事とお風呂は、

父母のいる自宅に来ていた。

 

毎朝、仏さんのご飯を上げにいった。

 

母は、食堂でパートで働き、

父は勤めに出ている。

祖父母はもう引退しての年金暮らし。

 

自分が小学校の時の父母の年齢は、

すでに超えている事に驚く。

 

自分の子供達も大きくなっているんだから、

当たり前なんだけど、

時代は変わっている。

 

その、

まだ若かった父と祖父との折り合いが悪く、

夕食時に、父が大声で罵倒するのが怖かった。

お金の事が絡んでいるのか、

父自身が、自分の境遇に不満なのか、

毎日のように声を荒げていた。

 

父は暴力こそ振るわないけど、

地声が大きいうえに、

お酒も入って、力いっぱい叫ぶ。

 

自分に向けられていないとはいえ、

子供の自分にとって、

祖父を大声で罵倒する父は恐ろしかった。

 

祖父がかわいそうで泣いた。

 

食事をすませると、

逃げるように部屋にこもった。

 

うーん。

 

いきなりですけど、

90歳過ぎ迄長生きした、

祖父の思い出を書こうとしたのに、

暗くなっちゃったので、

今日はもうやめておきます。

 

愛と感謝で生かされています。

ありがとうございます。

 

目にとまった皆様方が、

健康で健やかに穏やかに気持ちよく、

美しく暮らせますように。

 

ありがとうございました。

愛しています。